息子の産声が聞きたかった。妊娠30週の死産体験

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なぜ急にこんな話かというと、それは娘の中学校が悪い(笑)

「今年の林間学校のキャンプファイヤーで、お子さんに親御さんからの手紙を読ませたいんです。

キャンプファイヤーが消えたあと、一人一人に渡した手元のライトで、親御さんからの手紙を読んでもらいます。

中学生活で一番印象に残る思い出として、その手紙を挙げた生徒が多かった。ぜひ、がんばっていただければ。」

なんて言うんですからー。

何を書けばいいのか色々考えたんですが、多分娘が知りたくて、でもなかなか聞けないであろう彼女の兄のことを書こう、と思いました。

この世で生きることなく旅立っていった兄のことを伝えて、自分が生きていることに意味がある、思いっきり自分の人生を楽しもう!っていう気持ちになってほしくて。

今日は、赤ちゃんの産声とおめでとうの言葉がないお産、死産の話です。

 

初めての妊娠で、思わぬ症状が

当時私は社宅から車で20分ほどの一番近い産院に通っていたのですが、ある日の健診で「子供のお腹に水が溜まっている」と言われました。

確かに、超音波の画像を見ると、白い内臓がきゅっと体の片側に寄り集まっているように見えます。

大学病院を紹介され、とりあえず入院して検査を受けることになりました。18週めのことです。

一通り基礎的な検査を受けたあと、羊水検査をするかどうか尋ねられました。

羊水検査(ようすいけんさ)とは出生前診断の一種。 妊娠子宮に長い注射針に似た針を刺して羊水を吸引すること(羊水穿刺)によって得られた羊水中の物質や羊水中の胎児細胞をもとに、染色体や遺伝子異常の有無を調べる。 一般に妊娠16週以降の時期に実施される。
要するに、超音波のプローブを妊婦のお腹にあてながら、胎児に針が刺さらないよう妊婦のお腹に注射器を刺して、子宮の中の羊水を抜き取り、検査するのです(羊水穿刺:ようすいせんし)

「損失率は0.3%です。」

と先生に言われて、???となった私ですが、400回に一回は、流産・破水・出血などの合併症がある、と言われてなるほどと思いました。

でも、原因や対処方法がわかるなら、と思ってお願いしました。

検査自体は、イソジンで皮膚を消毒して針の長い注射器を刺す感じで、特に痛いということもなく、すぐに終わりました。

でも実は、終わった後検査結果をもらうまでの2週間が、辛かったんです。

羊水にウィルスが存在していないかとか、羊水から胎児の異常の有無を確認するための検査なのですが、染色体の検査も行われるため、男か女か、染色体に異常があるかどうかもわかります。

染色体異常がある場合にはどんな子供が生まれるかとか、もし本当に染色体に異常がある赤ちゃんだったら自分は産んで育てられるだろうかとか、すでに腹水が溜まっている時点で産まない方がいいのかとか、調べたり考えたりしても仕方がないことで、さんざん悩むことになりました。

そんなことを考えることになったのは、22週目までは人口妊娠中絶が可能だったからです。

お腹の中で動いている子供を産まない選択をするなんて、ありえるのだろうか?

というのが正直な気持ちでしたが、母などは「腹水が溜まっているだなんて、それだけでもその子は本当に大丈夫なのか不安だ。もし染色体に異常があったら産まない方がいいのではないか。」と言う始末。

結局、ウィルスや染色体には異常がなく、男の子だということだけが新たにわかり、あとは経過観察ということでほっとして退院しました。

 
 

息子のために準備したもの

つれあいは男の子ができたことがとにかく嬉しくて嬉しくて、ものすごい張り切りようでした。

絶対に最高の運勢の名前にするんだ、と言って毎日毎日名付け辞典やらネットの姓名判断で名前を調べ続けていました。

漢字一文字で13画の字から選ぶことにした、これが候補だから、この中からいいと思うものをいくつか選んでみて、といいます。

選んだ中から最終的に決めたのは、黎(れい)という名前でした。

私は私で、おくるみを作り始めました。

当時はキルトが大好きで色々作っていたので、おくるみの大きさを決めてごくごく単純なパターンを書き、手持ちのお気に入りの生地を使って作りました。

1か所だけ、お誕生日の日付の刺繍をするつもりでキルティングをしない部分を残しておきました。

おくるみができると勢いがついて、ついでに肌着も作っちゃおう、とブルーとイエローの肌着を作成。

ひもやスナップもばっちりつけて、おおー私なかなかやるじゃんとニヤニヤ。。へへへ。。。

そんなことをしているうちに、黎は順調に大きくなり、腹水は消えていきました。

つれあいがいない間に

私が安定期に入ったころから、つれあいは東京に長期出張することになり、数か月は帰ってこない予定でした。

ふつうそういう状況になったらみんな実家に帰るのだと思いますが、当時の私は実家に帰るなど考えたくありませんでした。

親との生活については、こちらに詳しく書きましたが→ボコボコにされたラジカセの思い出 家族のあたたかさって・・・?

あんな生活に戻る位だったらいっそ、一人の方がましです。

ですから、一度入院したことを理由に実家には帰らないことにして社宅で過ごしていました。

実家は東北で九州からはかなり遠く、実際に自分が一人で飛行機・電車を乗り継いで移動することには不安もありましたし。

だからその夜も、一人でした。

ご飯を食べて、お風呂にも入ってくつろいで、テレビを見ていた時。

ふと、あれ?なんかしばらく動いてないな、と思ったんです。

胎動を経験したことのある方はわかると思いますが、

アイテテテというくらい良く動くこともあれば、しばらく動かなくて、大丈夫かな?と不安になることもありますよね。

午後10時過ぎだったと思います。

これから病院にいくか、どうするか。。

大学病院なので、必ず宿直の先生が2人以上いて、夜中の緊急事態でも対応できることは知っていました。

でも夜に、苦手な運転を1時間以上して、病院で見てもらう必要があるだろうか。。。

迷いました。

迷って、結局「明日の朝行こう」と決めて、その夜はちょっと不安なまま寝ました。

多分一生後悔し続けるであろう判断でした。

迷わず、すぐに、行くべきだったのです。

 

病院で

受診したあと、診察室に一番近い病室で休むように言われ、ベッドに横になっていました。

受診の時に、わかってしまいました。

妊婦健診の時には、必ず胎児の心音のチェックをします。

それが、聞こえないのです。

いつもはちょっと機械を当てれば大きな音で聞こえていたドクンドクンという規則正しい音。

お腹に機械をあてても、何の音も拾ってくれません。

看護師さんは、センサーを当てる場所をあちこち変えて、試してくれます。

でも。。。

黎の心臓は、もう動いていませんでした。

その日は土曜日で、私の処置は月曜日になってから行う、と言われ、土日を多分ぼーっとして過ごしたんだと思います。

駆けつけてくれた友達に「赤ちゃん、死んじゃった。。」と言うのが精一杯だったことだけ、覚えています。

お腹にはまだ黎がいるのに、もう生きていないということが不思議で仕方なく、ずっとお腹をさすっていました。

つれあいにはどう伝えたのか、いつ戻ってきてくれたのか、それもさっぱり思い出せないのですが、

多分すぐ休暇をとって駆けつけてくれたのでしょう。

月曜日から始まった、私のお産にずっと付き添ってくれましたから。

妊娠30週に入ったところでした。

 

最初で最後の分娩。私の初めてのお産。

月曜日

月曜日の朝、私の部屋にずらーっと研究室の学生さん、研修医、担当医などが勢ぞろいしました(大学病院なので、私は、胎児死亡の告知を受ける場面の学習?機会を提供したわけです。)。

そこで正式に「子宮内で胎児が死亡したことを確認しました。今日から出産の準備を行います。」と告げられて、頭が真っ白になりました。

子供が死んでいるのに、手術で取り出してくれるのではないの?

先生、どうしても分娩しなくてはいけないんでしょうか。

そうですね。それが母体にとって一番いい方法なんです。

妊娠12週以降に子宮の中で胎児が亡くなると、人工的に陣痛を起こして「出産」しなければならない。我が子を亡くした悲しみと激痛に耐えながら出産しても、戸籍にすら載せてもらえない。それが死産だ。

↑これは、「赤ちゃん50人に1人が「死産」。家族を癒したJALのサービスはこうして生まれた」のハフポストの記事からとった一節ですが、ご存知でしたか。

私は、自分が経験するまでこのことを知りませんでした。

その直後から、陣痛を起こすための点滴が始まりました。

子宮の筋肉を収縮させるための点滴で、筋肉だけが反応してポコポコとお腹がうごいてきました。

でも、痛みは全くありません。その日点滴は、夕方4時まで続きました。

火曜日

結果は同じ。朝8時から夕方4時まで点滴、おなかがポコポコするのみで、痛みはなし。

 

水曜日

朝8時から夕方4時まで、おなかがポコポコして、かすかに痛みがあるような、ないような。。

点滴のあと、夕方子宮口を広げる処置が行われました。

水分を含むと膨らむ棒状の素材をできるだけ沢山詰め込んで、広げるのです。

カーテンの向こうで担当医が学生に解説しています。

最初はここ、次はこのあたり、などなど。。。

またもや貴重な学びの機会を提供してしまいました。

 

木曜日

この日も朝から点滴。

昼過ぎだったでしょうか、ようやく陣痛が始まりました。

腰の後ろから、金づちでガンガン骨を叩かれているような、そんな痛みに耐えて6時間。

ひ、ひ、ふーとか全然してられませんでした。

ぅぅぅうううあああーっ、いだいよいだいよぉーーとうめくのが精一杯。

なんかうんちがしたくなった、といって陣痛の合間につれあいにつかまり、病室内のトイレに行った時、ばちゃーん!と破水しました。

破水したー!

と叫ぶと、つれあいが先生を呼びに行ってくれ、戻ってきました。

トイレから移動して分娩台に上るように言われるのですが、つれあいの手を借りてもうまくいかず、もういきみたくて仕方ありません。

思わずつれあいにつかまっていきみそうになると「何やってんですか!早く乗ってください!!」と叱られ

分娩台でいきみそうになると「まだまだ、ダメダメ、早い早い!!」とダメ出しされ

いきんでくれというから頑張ると「こらぁ!お尻が逃げてる!!この位置で!!!」と言われ

こんなに叱られ続けるのが、お産だったのか。。。

と悟ったころ、ようやく生まれました。

普通のお産と違うところは、子供の産声が聞こえないことと「おめでとうございます」の言葉がないことです。

でもそれは、のちに改めて出産したからこそ知ったことで、当時初めてのお産だった私は、気づいていませんでした。

続きも、書きました→あったかい息子を抱っこしたかった。私の死産、息子をお墓に納めるまで

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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