あったかい息子を抱っこしたかった。私の死産、息子をお墓に納めるまで

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前回の投稿→死産 赤ちゃんの産声とおめでとうの言葉がないお産の話では、分娩の終了までをお伝えしました。

今回はその続き。

息子と対面した時のこと、そしてその後のことをお伝えしたいと思います。

お産を終えて、私の中から出てきた言葉

息子は、やっと生まれたと思ったらすぐにどこかへ連れ去られてしまいました。

 

先生、子供に会いたいです、と言っても「後産がおわってからの状態次第だね。」と言われ、取り合ってもらえません。

なかなか後産が始まらず、男の先生の拳でグリグリお腹を押されて、イテテテテテテと悶絶。

やっと、胎盤などが出てきました。

私は胎盤の一部が子宮の内壁に癒着していたらしく、超音波プローブをお腹に当てながら器具で子宮内の遺物を取り除かれ、ようやくお産が終わりました。

しばらく休憩したあと、分娩台からベッドの形に組み替えられた台の上で、会陰裂傷を縫い合わせてもらっている時です。

ふと、こういう状況になった時言えたら面白いなと思っていた言葉を思い出しました。

「先生、きつめに縫ってくださいね」

先生は「ハハハ」と笑っていただけでしたが、看護師さんが「こんな時にそんなこと」といって泣きながら笑っていたのを思い出します。

自分で言うのもなんですが、私は普段まじめな人間で、お酒の席でも下ネタを自分から口に出すことはまずありません。

多分、必死だったんだと思います。

息子に会いたくて。

母親が取り乱していたら、落ち込みすぎていたら、会わせてもらえないんじゃないか。

冗談を言えるところを見せたら、私は大丈夫と思ってもらえる。きっとすぐ会わせてくれるはず。

そんな気持ちが、まさか自分が言うとは思っていなかった言葉をするりと出してしまったのではないかと。

人間て不思議なものですね。

これ以上悲しいことはないという場面で、あんな言葉が出るなんて。

かつて、とあるオリンピック選手の言葉で「自分で自分をほめてあげたい」という言葉がありましたが、私の人生の中ではあの状況が思い浮かびます。

息子を抱いて

またしばらく台の上で横になっていると、ようやく、息子を連れてきてくれるといいます。

やっと!やっと会える。。

起き上がって待っていたら、看護師さんが、何だかガサガサしたものを運んできます。

息子は防水シートにくるまれていて、そのまま渡されました。

そっと指先で顔に触れてみましたが、ふにゃりと柔らかくて、ああ、もう直接抱っこするのは無理なんだな、とわかりました。

6日間も私のお腹の中にいたので、仕方がないことです。

ですがあの時、息子を直接抱きしめたかったです。

産んですぐに抱っこして、その体温のあたたかさを感じたかった。。

指先で感じた温度は、むしろちょっぴり冷たく、当たり前なのですが生きている人間の温度ではありませんでした。

つれあいも息子を抱っこしました。

待望の男の子。

一生懸命名前を考えて、会えるのをずっと楽しみにしていたのに、こんな結果になってしまって。。。

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

「お前のせいじゃない」と言ってくれるし、本心からそう言ってくれていることはわかるのですが、それでも、やっぱり。。

彼は泣いていました。

泣き顔を見るのは初めてでした。

「俺は人前では絶対泣かない主義だけど、今日だけは、泣く。でももう、何があっても人前では泣かないけどな。」と言って、声を抑えながら泣いていました。

彼は以前から、仲良しだった職場の同僚が亡くなった時でさえも、涙だけは見せない人でした。

泣いている姿を見たのは、本当にあの時だけです。

数年前に彼の両親が亡くなったときも、宣言どおり、涙は見せませんでした。

 

息子の写真

つれあいに、息子を抱っこしている写真を撮ってほしいと頼んだのですが、二人とも泣いてしまって、どうにも写真が撮れないのです。

せめて一枚だけでも息子の写真が欲しくて、息子だけでも撮ってほしいと言ったのですが、彼には無理でした。

看護師さんに撮影をお願いしましたが、やっぱり泣いてしまって手元が定まりません。

それでもどうにかシャッターを押してくれたので、辛いことをお願いして申し訳なかったけれど、本当に感謝しています。

当時はまだデジカメではなくフィルムカメラだったのですが、現像してみたらブレブレで、全体にぼやけていました。

それでよかったと思っています。

本当にリアルな姿が残っていたら、もう一度その写真を見ようとは思わなかったかもしれません。

数年前に一度取り出して、見てみました。

今もどこかにあると思いますが、取り出して見ようとは思いません。

私の頭の中にある姿だけで、充分です。

つれあいはとても写真を撮るのが好きで、結婚前から、なんでそんなに写真撮るのと私が呆れるくらい、しょっちゅう写真を撮っていました。

↓こちらの記事に詳しいです。

写真に写るのが嫌いな理由は、お金のビリーフにあった

でも、息子のことがあってからは、一切写真を撮らなくなりました。

運動会などのイベントでは、頼めば撮ってくれます。

でも私が頼まなければ、一切写真を撮ろうとしません。

子供の様子をスマホで撮影することさえありません。

彼の中では、あの時息子を撮れなかった時のまま、カメラを持つ気がなくなってしまったようです。

 

入院中の病室で

子供が亡くなっていることは、当然他の患者さんにはわからないことです。

産婦人科の病棟でしたから、婦人科系の病気で入院されている方もわずかにおられましたが、母子同室の病院で、いつも赤ちゃんの泣き声が聞こえていました。

私の部屋は病棟の一番端っこの個室で、確かにそこしかなかろうというちょっと寂しい部屋。

向かい側のお部屋にしか赤ちゃんがいません。

それでも、診察に向かう時通る部屋には赤ちゃんがいて、目が合ったお母さんたちはみんな笑顔を返してくれます。

こちらも一生懸命笑顔(のつもり)で応えます。

それが、辛かったです。

幸い、話しかけられることはなく入院は終わりましたが。

病院側でも一応気を遣ってくれたのだろうと思います。

 

出産の3日後に

実は「解剖を希望されますか」と医師から尋ねられ、私たちはお願いしました。

息子がなぜ亡くなったのか、知りたかったのです。

結局、原因はわかりませんでした。

解剖が終わって息子と再び会うことができたのは、出産の2日後の夜でした。

つれあいが手配してくれた棺に入って、霊安室に安置されていました。

大人の棺用の大きな冷蔵庫の中にポツンと小さな箱が置かれ、その中に、水分がぬけて普通の赤ちゃんの大きさになった息子が小さく、静かに横たわっていました。

胸には、肋骨の間に縦に解剖の傷の縫合跡がありました。

頭を、そおっとなでてあげたと思います。

傷にもさわって、がんばったねと言ってあげました。

翌日、息子を火葬にしました。

箱の中にお花を沢山入れて、自分で作ったブルーの産着を箱の上からかけてあげて、送り出しました。

産着を作っておいてよかった、こんな使い方は、思いつかなかったけど。。

息子のためだけにしてあげられたことがあって、本当によかったと思ってます。

拾ったお骨を入れた小さな骨壺は、おくるみにくるんで病室に持ち帰りました。

おくるみは今も手元にありますが、息子が産まれた日付を刺繍するはずだったところは、手を付けないままになっています。

社宅に戻って

出産の5日後。お骨を抱いて車で社宅に戻った時、不思議な光景を見ました。

その日はとても気持ちよく晴れた日で、いつもの通り、沢山の子供たちが社宅の周りで遊んでいました。

その様子を見た時に、どの子供の体からも、後光が差しているように見えるのです。

何というか、体の輪郭がぽわーんと光っている感じです。

子供の存在が、今の自分には眩しすぎる、ってことかな。

それとも、私が今生と死の境目みたいなところにいるんだろうか。。。

とても不思議でした。

その後どう過ごしていたか思い出せませんが、しばらくはテーブルの上に骨壺を置いて暮らしていました。

そのうち、お墓を持たなかった私たちは、主人の実家のある東京のお寺に、お骨を預けることにしました。

寂しいけれど、区切りをつけて、再出発しなくてはいけないと思いました。

出発の日、お骨を抱えて、空港のエスカレーターに乗っていた時のこと。

反対側のエスカレーターから降りてくるのは、なんと息子をとり上げてくれた先生でした。

先生に見送られて(?)お骨を預けてきたのですが、戒名は自分たちでつけました。

最初、つれあいの実家にゆかりのあるお寺に依頼したら、断られたのです。

そこで調べてみると、戒名はお坊さんに付けてもらわなくてはいけない、という決まりはないんですね。

息子には黎という名前を付けていたので、それを戒名にだけは残したかったのです。

お腹の中で死んでしまった子供は、公式な記録には、「死胎児」としてしか残りません。

胎児なので、生まれていない人として扱われ、もちろん戸籍にも記載されません。

だから私たちは、自分たちで息子の戒名をつけ、お寺に預けました。

その後つれあいの父親が亡くなったとき、黎のお骨もお墓に一緒に納めました。

お葬式の前に喪主がやらなくてはいけないあれこれに書いたので、よかったら読んでみてください)

今、我が家の小さな仏壇には彼の透明な位牌があって、子供たちも「お兄ちゃんのだよね」と話しています。

 

子供たちに、母親になる人たちに伝えたいこと

東日本大震災のとき、テレビで新聞で、沢山の被災者の方たちの様子を知りましたが、絶望的な状況から立ち上がり前進してゆく姿に胸打たれつつ、そうだよね、なんか不思議な力が出るんだよねと、自分の死産の経験を思い起こさずにはいられなかったのを思い出します。

子供を亡くすまでは、人生には思いもよらない悲しい出来事があるなんてこと、想像したこともありませんでした。

当たり前に手に入れられるはずのもの、そこに存在して当然のものがある日突然なくなってしまう、そういうことって起きるんですよね。

だからこそ。

自分が存在して、呼吸して、話して食べて泣いたり笑ったりしている。

かっこよくなくても、不器用でも、とにかく生きていることがまず、すばらしいことであると知ってほしい。

普段はなかなか、そういう風に思えないでしょうけれど、母がそんなこと言ってたかな、ってたまーに思い出してほしい。

心から、そう思います。

そして、私自身は読む勇気がまだないんですが、娘がもう少し大きくなったらこの本を読むように勧めてみようかと思ってます。

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