
目次
雨の日の朝、ラジオから流れてきた曲が一重苦しさを一気に洗い流してくれました。
竹内まりやさんの「Plastic Love」です。私はこの曲が大好きで、中学生のころ毎日繰り返し聴いていました。
なつかしさと一緒に、親は何で結婚して子供作ったんだ?とにかく親が大嫌いだったなぁ~という気持ちも鮮明に思い出しました。
当時13歳、もちろん両親や弟と一緒に暮らしていたわたし。
私は両親のことが嫌いでした。大嫌いでした。なぜ私を生んだ?やめてくれ!って思いながら生きてました。
でも、この人たちがいたから自分も親になれたんだと思うと今は大切な存在です。
当時の私の救いは音楽を聴くことで、中でも竹内まりやさんの「Plastic Love」の世界にはすごく共感しました。
1984年の中学1年生に竹内まりやはメジャーじゃなかった(笑)
『Variety』というまりやさんのファースト・アルバムがリリースされたのは1984年のこと。当時私は中学1年生でした。
今では考えられないことですが、当時NHK-FMの番組ではアルバムの収録曲の大半がフルコーラスで放送されていました。
まだCDが世の中に出たばかりで、CDやCDプレーヤーを持っている人が珍しかったです。
レコードさえ高くてお小遣いではなかなか買えなかった私。
お気に入りの番組をラジオからカセットテープに録音して繰り返し聞いていました。中でもお気に入りが竹内まりやさん!
何十回いや何百回も聴きました。ほんとにテープがすり切れそうなぐらい聴きました。
同級生の何人かに「竹内まりやいいよね!」って話しかけても
みんな「誰それ?」っていう反応で、友達と聴くのはあきらめて一人まりやさんの世界に浸っていたんです。
そんなあれこれが、たった一曲聴いただけで鮮やかによみがえってきました。
離婚だ離婚!て叫んでる両親に昔は恋愛感情あったの?という疑問
ケンカするたび「離婚だ離婚!」て叫んでるのに別れない親
うちの両親はよくケンカしてました。週に2~3回は口論。週1回は怒鳴り合いです。
夏なんか窓を開けたままやりあってたので、「これ絶対となり近所に聞こえてるよね」って弟と話してました。
つかみ合やプチ家出まではなったのですが、本気の怒鳴り合いをしょっちゅう聞かされるって嫌なものです。
子どもは素直なので「そんなに一緒にいたくないなら、どうして別れないの?」って毎回思ってました。
二人とも公務員で収入は安定してるから、子どもがいても経済的には自立して暮らせます。
小さい頃はなぜ別れないのか?って本当に疑問でしたが、中学生になる頃にはぼんやりと理由がわかるようになりました。
親同士は本気で離婚する気がないのです。おそらく世間体が悪すぎるからです。
二人とも教師で変態的に真面目なんです。だから自分の子ども(わたし)をワカメちゃんヘアにしたり漫画や民放の番組やスナック菓子を禁止してました。
自分たちが離婚して「普通の社会生活を送れない人」というレッテルを貼られるなんて死ぬより辛いことだったんでしょう。
親が毎日我慢して生きている場所では、子どもも我慢してるんですよね。
うちの親にはそういう自覚がなかったか、子どもは我慢して当然だと思ってたのかも。終戦直後に小学生だった世代の人たちなので。
お見合い結婚で夫婦に愛情は生まれるんだろうか?
あるときふと疑問に思って「お父さんお母さんは恋愛結婚だったの?」って聞いてみたんです。
父から返ってきた答えに脱力しました。「お見合いだ~。ふたりとも結婚は遅かったな。」
(たぶん)奥手すぎる父とわがままな母がお見合い結婚でくっついたのです。
母はいつも、父が冗談半分で母の肩に手を触れただけでメチャクチャ怒ってました。
中学生にもなれば、どうやって子供を作るかわかります。
触られるだけで嫌な人の子供をなぜふたりも作ったの?
結婚したら子供を作るのが普通だから作ったの?
欲しかった子供じゃないから育てるのが面倒なんじゃないの?
わたしの頭にはそういう疑問というか親を責める言葉しか浮かびませんでした。
そして親のほうは、子どもが優等生で親が引いたレールの上を進む限り必要なものは与えてくれました。
だから今思うと、親と同じように我慢して生きていたと思います。それが生きることだと思って毎日生きていたんです。
だから生きているのがいやでした。
楽しみと言えば本を読むこととラジオを聴くこと。それぐらいしか見つからなかったんです。
⇩小さい頃に色々制限されるとどういう大人になるかわかる記事です(笑)
結婚にも恋愛にも疑問しかないときに出会った曲
まりやさんの曲に出会い「Plastic Love」を繰り返し聴いたのは中学生のころで、結婚にも恋愛にも疑問しかない時期でした。
中学生なら誰かと付き合いたいと思ったり、人を好きになる経験を初めてする時期だと思います。
わたしにもそういう気持ちはありましたが、それを素直に表現できませんでした。
「付き合う」ことにしたら付き合っているカップルがやるべきことをやらないといけないんじゃないか?
「好き」って一度でも言ったら相手がそう思わなくなるまで好きでいつづけなくちゃいけないのかも?
とか、人間関係の中でも特に恋愛関係はものすごく窮屈な束縛のようにしか思えなかったです。
人と人との関係はそれぞれ違うものであっていいと思うし、自由な広がりを持つものだと思います。今は。
でも私の家族の人間関係は、お互いに「世の中の普通」を維持するため拘束しあう息苦しいものでした。
だから、道徳の時間に「家族や友達と支え合って生きることは素晴らしい」みたいな話をされても私には全く響きませんでした。
先生が求めている答えはわかるから、教室では優等生らしく答えていましたけど。
嫌な奴ですね。「先生にだって私が考えてることなんかわからない」ってひとりで壁を作っていたと思います。
「Plastic Love」はそういう私の気持ちがそのまま歌われている!と思って夢中になりました。
♪突然のキスや熱いまなざしで
恋のプログラムを狂わせないでね
という始まりのフレーズのとおり、恋愛なんてお決まりのパターンを繰り返していくPlasticなものなのよという女の子の曲。
恋愛に温度がない暖かさがない、フラットで冷たいリフレインが私の当時の想いとシンクロしていました。
「Plastic Love」は愛情に飢えてる女子の曲だと思う
シティ・ポップを象徴する曲になった「Plastic Love」
「Plastic Love」は全世界ですでに2千万回以上再生されていて、シティ・ポップというジャンルの象徴的な曲とされているのだそう。
びっくりしました!
この人気をうけて、リリースから35年となる2019年PVが制作されました。そのShort Ver.がこちらです。
無料だと公式の動画はShort Ver.しか見られないようですね。
⇩こちらから購入もできます。一緒にはまりましょう‼
ちなみにシティ・ポップとは?
リリース当時の1984年ごろは「ニューミュージック」とよばれていました。シティ・ポップというジャンルが確立されたのはここ数年のことらしいです。
80年代から90年代にかけてのファッションがリバイバルするなど当時の文化に興味を持つ若者が増えているようですね。
今より景気もよく変化もゆるやかで人々が明るい未来図を描いて生きていた時代のちょっとレトロな未来イメージがカッコいいみたいです。
特に人気があるのが大瀧詠一さん、山下達郎さん、竹内まりやさん、はっぴいえんどなど当時ニューミュージックの旗手として人気があったアーティストたち。
山下達郎さんがソロデビューする前に大貫妙子さんと組んでいた伝説的なバンド「シュガーベイブ」なんかも注目株。私も大好きです♡
実は愛情に飢えてる女子の曲だと思う
同じ歌詞のリフレインが続き、フェードアウトして終わるのがこの曲の構成の特徴です。
I’m just playing games I know that’s plastic love
Dance to the plastic beat Another morning comes
I’m just playing games I know that’s plastic love
Dance to the plastic beat Another morning comes
このリフレインて「恋愛なんてplasticなものなのよ、plasticなビートで踊るうちに次の朝が来るのよ」って自分に言い聞かせてる気がしませんか?
本当は暖かいぬくもりがあるんじゃないか、っていう気持ちを捨てきれなくて何度も何度も恋愛を繰り返す女の子なんじゃないかと思います。
♪突然のキスや熱いまなざしで
恋のプログラムを狂わせないでね
ってことは、キスやまなざしがすごーく熱かったら彼女のplasticなハートが溶けてしまうから、ですよね。
本当はそういう人が現れるのを待ち望んでる女の子だと思います。
こういうストレートじゃない表現がおしゃれでカッコよくて人の心の琴線に触れてくるまりやさんの曲、やっぱり今も大好きです。
人間て本当は人との暖かな関係を求める生き物だと思います。私も本当は親の愛情を求めていたから共感できたんでしょうね。
今は恋愛に疑問しかないという人も、気が向いたときちょっと肩の力をゆるめてみると思わぬ暖かさに触れられるかもしれません。
親が嫌いすぎる人へ。親でなくてもあなたに暖かな気持ちを向けてくれる人がきっと現れます。
今すぐにはムリでも、あきらめずに求め続ければそういう出会いがあるはず。それに気づける自分でいましょう。
あなたの傍らにも大切な人のぬくもりがありますように。