凶悪犯の生い立ちに共通する「孤独」無差別殺人犯は社会がつくる!?

  • LINEで送る

目次

京都アニメーションの放火事件は41歳の男性による凶行でした。

あんな凶悪な事件を起こす無差別殺人犯を生んでいるのは、実は私たちの社会が生む「孤独」かもしれません。

「あんなやつ一人で死ねばいい」という言葉がいまの空気を代弁しているかのようです。

京アニ放火事件で思い出した無差別殺人犯に共通する特徴

何十人もの人が働いているアニメの制作会社でガソリンをまき「死ね!」と叫んで火をつける。

こんな無差別テロのようなことをする41歳男性はどんな人物なのか?

そう思った時思い出した記事があります。

ジャーナリスト津田大介さんの「ひきこもり 孤独は個人の問題ではない」というタイトルの朝日新聞の論壇時評で、気になって切り抜いておいたのでした。

長いですが引用します。

河合薫は近年発生した無差別殺傷事件で刑事施設に入所した52人の属性や犯行内容、同期、背景などを調査した、一般にあまり知られていない法務省の調査報告書を紹介し、刑事政策的な観点から無差別殺傷事件が起きる要因を考察している。※

報告書からは、①働いて賃金を得る、②人と共に生活する、③安定した住居がある、という基本的な生活経験の欠損が人身にネガティブな影響を及ぼすと読み解けるという。そのうえで人間関係の希薄さから生じる「孤独」の感情を個人の問題として処理するのではなく、社会問題として向き合うべきだと主張する。

出典:朝日新聞2019年6月27日㈭朝刊

※河合薫「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会 日経ビジネス電子版2019年6月4日

『孤独』の感情を個人の問題として処理するのではなく、社会問題として向き合うべき」というのは非常に示唆に富む指摘だと思います。

私自身の経験ともぴったり合うからです。

犯人はみな孤独な人たち

京アニ事件の犯人像は詳しくわかっていませんが①働いて賃金を得る、②人と共に生活する、③安定した住居がある、のいずれかが欠けている可能性は高いのではないでしょうか。

このうちの一つが欠けるだけでも、本人の心身はかなりネガティブに変化します。

そしてこのネガティブな変化は本人を孤独にしてしまいがちです。

私の個人的な経験もそれを裏付けていて、夫の叔母はどんどん孤独になっていきました。

出会った時は話好き・世話好きで面白くて楽しいおばちゃんだった彼女は、「家」を失い家族とのつながりを失って別人のように変わっていったんです。

住む家を失い家族も失うことに

住む家を失ったころ、おばちゃんは定年退職してから数年経っていました。

もはや働いてお金を稼ぐことができない彼女は、最も怒りをぶつけやすい家族(私の姑)を選んでいじめ始めたんです

実はおばちゃんは姑・舅が家を建てるときまとまった金額を支援して同居していたのですが、その家を失いました。

原因は舅の兄弟でしたが、原因を作った本人には何も言えずに姑に怒りをぶつけていたんです。

独りで暮らし始めてからはしょっちゅう私に電話をかけてきて、毎回2時間以上もずっと姑の悪口を言っていました。

私はいじめられはしませんでしたが、悪口を聞かされて本当にうんざりでした

私は彼女との接触を避けるようになり、お友達もいない彼女は孤独になっていきました

家族を失うと孤独が加速する

人と一緒に暮らさなくなるとコミュニケーションをとる必然性がなくなります。

夫の叔母は、一人暮らしを始めてからマイペースな暮らしぶりが加速していきました。

好きな時間に寝て起き、あとはずっと椅子に座ってテレビを見ているだけ。

買い物とたまの通院だけが体を動かす機会なので、どんどん歩けなくなりました。

歩けないから外出したくない、と外出が減り

お気に入りの薬局のお姉さんと話す機会が減り

髪を切りに行く気になれずに伸び放題

ますます出かける気にならなくなる、といった具合でどんどん孤独になっていったんです。

収入を失うと自分には生きる価値がないと思うかも

安定した収入が得られなくなってしまったら、家族や親戚・友人を頼って生活するか、少ない生活費で暮らせる場所を求めて移動するしかないでしょう。

新たな収入を得る方法が見つかればいいですが、それが得られなければ生きていけなくなってしまいます。

おばちゃんの場合はわたしたちが支援できましたし年金があったからよかったのです。

もし家も家族も収入もない場合、稼げない自分は存在する価値がないと考えてもおかしくないと思います。

その日その日を食つなぐのが精いっぱいの状態では未来のことなど考えられないでしょうし、考えたとしても明るい方向になるわけがありません。

そして自分がはじき出された場所に怒りをぶつけたくなる…

大いにあり得ることだと思います。

無差別殺人犯になる可能性は誰にでもある

①働いて賃金を得る、②人と共に生活する、③安定した住居があるという前提は、リストラや家族の死で案外あっけなく崩れてしまうかもしれません。

その環境の変化がもたらすのは間違いなく「孤独」で、孤独は人を変えます。

中学を卒業して定年まで真面目に働いた人当たりの良い女性が、妹をネチネチいじめ何時間も悪口を言い続ける人に変わってしまったんです。

叔母は今でこそ自分の居場所が定まって心穏やかに暮らしていますが

あなただって私だって、ちょっと状況が変われば人をいじめたり自分を傷つけたりしても全く不思議ではないです。

もっと絶望が深く、生きていく必然性や希望がなければ無差別殺人につながらないとは断言できないでしょう。

無差別殺人犯は、社会の中にどうしても居場所を見つけられない人が起こすものではないでしょうか。

「孤独」な人を作らない社会。その実現のために何から始めればいいのか、私にはわかりません。

でもとりあえず自分が関わる人のなかからそういう人が生まれないようにしたいです。

  • LINEで送る

コメントを残す


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください