教育とは【引き出すこと】サティシュ・クマール「サティシュの学校」

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先日「サティシュの学校」というドキュメンタリー映画を見て、実際に留学したサトケンさんからお話を聞く会に参加しました。

サティシュ・クマールの語る教育とは【引き出すこと】。

人間はひとつの種のようなもの、という彼の語りが頭の中でずっと響いています。

今日はサティシュ・クマールさんの「教育とは引き出すこと」という言葉の意味と、映画の紹介をしたいと思います。

もっと早く、子どもの不登校で悩んでいたときに出会いたかった映画です。

だって、この映画を見ていたら「ちょっとゆっくりしよう」って思えたはずで、あんなに焦らなくてよかったかなって今思うので。

教育とは引き出すこと

「教育」の語源は?

今回サティシュ・クマールさんの語る言葉を聞いて改めて「教育」って何をすることなんだろう?

という疑問が自分の中に浮かんできたので語源や定義を調べてみました。

英語education」や「フランス語éducation」は、ラテン語ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来することから、「教育とは、人の持つ諸能力を引き出すこと」とする。

出典:wikipedia

このように、語源には「連れ出す・外に導き出す」という意味があるんですね。

「教育」という熟語が初めて使われたのは孟子の【君子三楽】と言われる一節のようです。

  得天下英才、而教育之、三楽也。
  天下の英才を得て、之を教育するは、三楽なり。
  天下の優れた人物を弟子にして、教育するのは、第三の楽しみである。

出典:今日の四字熟語・故事成語

孟子が生きていた紀元前300年前後から存在していた「教育」という概念。一体何をすることなんでしょうか?

「教育」の定義は?

教え育てること。知識,技術などを教え授けること。人を導いて善良な人間とすること。人間に内在する素質,能力を発展させ,これを助長する作用。人間を望ましい姿に変化させ,価値を実現させる活動。以上のように教育という語は多義に使用されるが,陶冶,教化,育成,形成などと同義にも用いられ,またそれらを総括する語として広義にも用いられる。(以下略)

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

最初に「教え育てること。知識,技術などを教え授けること。」と最初に定義されていますね。

つまり、第1義的には知識や技術を持っていない人に教えて彼らを育てることが教育である、ということですね。

サティシュさんはその考え方に否定的で、辞書の定義の2番目にあてはまることこそ教育の本分だと主張します。

いま世界で「教育」といえば「空っぽの器に知識を詰め込むようなこと」が行われているが、本来の教育はそういうものではない

ひとりの人間は一つの種のようなもの。

必要なものはすでにその人の中にあって、それぞれ全く違うものを持っている。

教育とはそれを引き出すことだ』というのです。

どうやって「引き出す」教育をするのか?

それじゃどうやれば「引き出す」教育ができるのでしょうか?

その教育が実践されているのが「サティシュの学校」と呼ばれる英国の”シューマッハー校”です。

実際に留学されたサトケンさんが学校の一日を教えてくれました。

「サティシュの学校」の一日

朝は7時ごろから瞑想の時間。皆が集まって座れる集会室のような場所で思い思いに瞑想をします。

朝食はバイキング形式で、体が必要としているものを必要なだけ摂ります。

その後詩の朗読や歌を歌う時間があり、みんなで掃除、農業、昼食の準備をしてそのあとがようやく午前のクラス

授業といってもサティシュさんやその日の講師を囲んで椅子に座り、話を聞いたりディスカッションをします。

机はないんだそうです。映画でもみんな居心地のよさそうなソファやベンチに座ってくつろいでいましたね。

講師の講義もありますが、学校で学ぶことは学生自身が決めます。

皆でランチを食べたあとは午後のクラス。夕食の支度はみんなでします。

サティシュさんも少なくとも週に1回は料理をするそうです。

自分がそこにいるだけで存在を認められる場所を提供する。

そして居心地の良い場所をみんなで作る。

だからこそ素晴らしい研究ができる。

それがサティシュさんの創った教育の場です。

映画「サティシュの学校」とは

映画「サティシュの学校」は、サティシュ・クマールさんと辻信一さんの対話が記録されたドキュメンタリー映画です。

学校の一日の紹介とともに学校の理念、設立の経緯などが語られます。

ちなみに辻さんは文化人類学者で、自分のゼミの学生を連れてシューマッハー校に滞在したこともある日本の研究者です。

世界は広いなぁ~こんなに居心地がよさそうで素敵な学校があるなんて!と感激しますよ、DVDを見ると。

この学校はホリスティックなサイエンス、エコロジー、エコノミーを学ぶ場所。

ホリスティック教育とは、人はみな、地域や自然界との関わりを持ち、思いやりや平穏などの精神的価値観を追い求めることで、自己の存在証明、人生の目的や意味を見出していく考え方に基づいて行われる教育のことである。

出典:wikipedia

「ガイア理論」といって、地球を一つの生命体と捉える考え方があるそうです。

そのように地球にも人間に接するのと同じような態度で思いやりをもって接していくのが”ホリスティック”であるということ。

ですから行き過ぎた経済成長や環境破壊には否定的で、スモールでスローな経済学を打ち出したE.M.シューマッハーの名前をとって「シューマッハー校」と呼ばれています。

開設当初は私設の学校だったようですが、今ではきちんと大学院として認可された学校になっていて、サティシュさんはそこで「リサージェンス(Resurgence)」という雑誌を刊行しています。

2016年にリサージェンス誌が50歳の誕生日を迎えましたが、その際はチャールズ皇太子からお祝いのビデオメッセージが寄せられたほど権威ある研究誌として認められているそうです。

映画の中では雑誌の事などは一切紹介されず、日本の文化人類学者である辻信一さんがひたすらサティシュさんの言葉を聞いています。

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もともと僧侶だったところから平和運動に参加するため還俗したサティシュさん

彼の行動と同じ様に言葉も熱く胸に迫るものがあって、つい引き込まれてしまいます。

「教育は引き出すもの」の他にも頭のなかで鳴り響いている言葉がたくさんあって、とにかくもう一度サティシュさんの話を聞きたくて仕方ない状態です。

DVDが届いたらまた詳しい記事をアップしたいと思います。早く届かないかな~

映画の予告動画を貼り付けておきますね。ぜひご覧ください。

まとめ

この映画をどうして子供の不登校の時知りたかったかという理由を書いていませんでしたね。

不登校って、子供や親に何か欠けているところがあるから学校に行けなくなるというイメージがありませんか?

たとえば皆と一緒に授業中座っていられないというのは、忍耐力の不足と捉えることもできるでしょう。

でもサティシュさんの言葉を知っていた「子供に忍耐力をつけさせなくては」と考えるのではなく「この子には全て備わっているけれど、まだそれを引き出せていないだけだ。今はこの子自身のままでいることを受け入れてくれる場所に行こう」ともっと早く考えることができたかな、と思うんですよね。

欠けているものを埋めるとか、今までにないスキルを身につけるのって大変です。

不登校っていうそれだけでも充分に重たい現実を抱えているときに、さらに自分自身をがんばって変えていくとかスキルを身につけるなんてしんどすぎます。

それに「子どもに何かが欠けている」という発想は「母親である自分が子どもを何かが欠けている状態で生んでしまった、育ててしまった」ことになって、結局は自分で自分を批判するしかなくなります

自分を責めると子供も自分も変われるならいいですけど、まあ大体状況は悪くなるだけです。

ゆっくりでいいんだ、って映画をみてほっとしたんです。

ゆっくりでもちゃんと愛情を通わせられる親子になるのが大事、ゆっくりでも自分が生きたい人生を生きられる人になることが大事だよね、って。

安心して帰ってこられる「親子関係」という基地みたいなものができたら、子供は学校に行く勇気を持てます。

それは自分も経験したことなので間違いないです。

たまたま自分は森田先生のコンプリメントでそれを経験しましたが、この映画も言ってることは同じでした。

だから不登校で悩んでるときに見たかったなぁと思ったんですよね。

今日も最後までお付き合いくださってありがとうございました。

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