
目次
流産や死産を経験した人へ。
何とかして辛い思い出を忘れようとしていませんか?
私自身の死産体験から18年経ったいま「忘れない」ことがあの体験の乗り越え方だと思うようになりました。
この記事に書くことは医学的なとか心理学的な裏付けのあることじゃありません。
個人的な意見でしかありませんが、読んで少しでも未来の自分に希望をもってもらえたらな~と思います。
⇩これまでの記事はこちら
原因はストレス?羊水検査?兆候なく突然妊娠30週で死産した私の体験談
死産で生まれた息子と対面!解剖と火葬、その後の供養とお墓に納めるまで
「忘れない」ことが乗り越え方だと思う
私は死産の体験を乗り越える、っていう考え方自体が好きではありません。
自分の行く手を阻む障害物をえいやっ!とよじ登って、あとは振り返らずに前進するみたいなイメージがあるからです。
死産の経験は確かに残酷で自分の心に大きな傷を残しましたが、障害物とか取りのぞかれるべきものではないと思います。
だから死産や流産の経験を忘れる必要なんてないというのが私の考え。
そもそもいくら忘れようとして忘れられないんですから。
わたしの死産の経験は息子との唯一の思い出です。
辛くて悲しい思い出だけど、他に代わるものなんてない大切なものじゃないですか?
忘れられたらいいのにと思ったことは何度もありましたが、「忘れなくていい」と思うとすごく楽になりました。
今の感覚を文字にすると「乗り越えるんじゃなく、重荷のように背負うのでもなく、心の中にずっと抱えて生きていくもの」って感じです。
いつも思い出して涙を流す必要もないし、一生懸命忘れようとしなくてもいい。
10年以上の時間をかけてこんな風に考えられるようになりました。
息子と同じ年ごろの男子に胸がキュッとする
今の場所に引っ越して初めての夏、マンションの屋上が解放され花火大会を見る機会がありました。
屋上にござが敷かれて家族ごとに食べ物やビールを持ち込んで楽しんでいたとき。
小学校高学年だった娘が同じ小学校の男の子とずっとおしゃべりしてたんです。Iくんという子です。
年齢を聞くと娘のふたつ上。亡くなった息子と同じでした。
そうか、生きていたらあの子はこんなに大きくなってたんだ~と思った瞬間に胸がキュウウーっと痛んだのを覚えています。
実はいつも感じてきた何ともいえない気持ち
実はこの「胸がキュウウーっとする痛み」は初めてじゃありませんでした。何度も経験してきました。
娘たちの子育ての中で息子と同じ年ごろの男の子と触れ合うと必ず感じる気持ちなんです。
どんな気持ちかを表現するのは難しいんですが…
ものすごく懐かしいものに出会ったような
好きな男の子にやっと会えた時のときめきのような
そんなキュンとした感情といっしょに
自分の息子ではない男の子にそれを感じていることへの罪悪感が混ざった甘くほろ苦い気持ち、でしょうか。
おそらく自分の息子には感じない気持ちだと思います。
娘たちには感じたことがありません。
自分には絶対に手に入らないものが手を伸ばせば触れられる距離にある嬉しさだと思います。
手に入らないとわかっているからこそときめくのかもしれないですね。
生きていれば今年18歳!時間は本当に薬だった
息子が生きていれば今年18歳になります。高校3年生で受験です。
どんな高校に行ったんだろう?将来どんな仕事をしたいと思うんだろうか?とか妄想が止まりません。
彼女はいたかなとかどんな漫画を読むのかとか、男の子はすごく臭いのかとかエロ本何冊ため込むのかなど(笑)
実体のない息子だけど、ほんの一部分しか想像できないけどやっぱり息子は私の中で生きていると思います。
死産の直後は「息子は苦しかったのかな」「寂しかったかな」「ストレスを感じて辛かったんだろうか」とか彼の辛さや痛みのことばかり考えていました。
でも10年ほど経ったころでしょうか。
何度か「胸がキュウウーっとする痛み」を経験したあと気が付きました。
「わたしは今目の前で生きて動いてしゃべっている男の子みたいに元気に生きている息子に会いたいんだ」って。
苦しんでる顔は見たくない。お母さんに笑いかけてくれる息子に会いたい、って。
そう思う自分がいていいんだとも思いました。この思いは止められないからです。
当時少し年配の方から「時間が薬だよ」という言葉をかけてもらいました。
本当かな?とあまり信用していなかったんですが、自分の気持ちが当時からは明らかに変化したのを感じます。だから本当だと思います。
18年たっても忘れられないから「忘れない」ことで乗り越える
実は同じマンションのIくんとは、出勤と通学のタイミングが重なって歩きながら話す機会があります。
生徒会や部活の話などを聞くと「こんな風に息子と話す母親になってたんだろうか…」とまた胸がキュウウーっとします。
あるときその様子を目撃したママ友から声をかけられました。
「この前制服姿の男の子とすごく楽しそうにしゃべってたけど、どうしたの?」って。
そうか、私はそんなに楽しそうだったのか(笑)って自分の知らなかった一面を教えてもらいました。
「近所の男の子なんだよ。若い子としゃべるのって楽しいね」って言っときましたww
結局私は妄想の中で成長した息子と一緒に生きています。
やっぱりどうしても忘れられません。だから「忘れない」ことで乗り越えることができているのかなって思います。
そもそも‟乗り越えよう”なんて身構えるのをやめてしまいました。
死産や流産を経験された方の中には、自分の経験をどうしても忘れたい人もいるかもしれませんね。
でも私は息子を自分で生んで、この手に抱いて、そして見送りました。
産声は聞けなかったけど、出産という共同作業が思い出として残っています。それを自分の中から消してしまうことはできません。
大切な思い出として、死ぬまで胸に抱いていきたいと思います。
皆さんの辛い体験も時間の薬が少しずつ癒してくれるよう祈ります。
⇒原因はストレス?羊水検査?兆候なく突然妊娠30週で死産した私の体験談
⇒死産で生まれた息子と対面!解剖と火葬、その後の供養とお墓に納めるまで