ボコボコにされたラジカセの思い出 家族のあたたかさって・・・?

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自分がまだ親元で生活していたころ、何をしている時が幸せだったか振り返るシリーズ。

私、ラジオを聴くのが大好きだったんですが、ある時ラジカセがボコボコに・・・!

私が育ったのは、両親がNHKと民放時代劇しか見ない、そして子供にも見せてくれない家(ほんとにあるんですよ、こういう家庭)。

当時大人気だったドリフターズも風雲たけし城もベストテンもタッチも、親が宴会で不在の日に何度か見たことがあるだけです。

私のラジオライフのスタートは、小さなラジオから。

つけてみると、とってもあったかくて、楽しい世界が広がっていたんです。


その頃聞いたラジオは、小ぶりの辞書位の大きさのSONYのラジオで、今なら1000円ちょっとでお店の棚にぶら下がっているようなお手軽なもの。

そのラジオでまず聴き始めたのは、AMラジオでした。

私のラジオライフのスタートは、AMラジオから

我が家の夜は早く、両親は大体9時には休んでいましたから、9時半ごろからラジオをつけます。

当時、最初はヘッドセットを使う知恵がなかったんですよねー。だから親が寝たあとの時間を狙いました。

夜10時から「三宅裕司のヤングパラダイス」を聞くためです(youtubeに音源がアップされていました。なつかしー)。

さっきgoogleさんにおたずねしたら、ヤンパラを三宅さんが担当するようになったのは、1984年2月から。

以降1990年の番組終了まで担当されたそうですが、中学生の間は間違いなく、ずっとお世話になっていましたね。

夜11時半ごろまで聞いていました。とにかく楽しくて面白くて、お布団の中で沢山笑いました。

寺脇康文さんや岸谷五朗さんも、三宅さんの劇団SETの新人で、番組に出演していたそうです。全然知らなかったー!

ヤンパラがあんなに楽しかったのは、どうしてだろう。。。?

you tube の音源を聴きながら、ちょっと考えたんです。

私はどうしてあんなに、「ヤンパラ」にはまってしまったのか。当時はほかにも吉田照美さんとか赤坂康彦さんとか、小林克也さんなどそれぞれ著名な方々が番組を持っていましたし、たまにそちらを聴いてみることもありましたが、やっぱりヤンパラがよかったんです。

なぜ、あの番組だったのでしょうか?

番組自体が面白かった

当然、番組自体の面白さが一つ。

私がはまったのが、先ほどのドカンクイズと、やっちゃんのコーナー。

街中でやくざの人たちが見せる不条理な?不可解なというかちょっと面白い行動をネタとして投稿するコーナーです。

暗くなってから街に出ることがない私には無縁の世界で、そこをのぞき見できるところが新鮮でした。

中高生が生出演していた

それから、中学生や高校生が友達と一緒に生電話で番組に出演していたところですね。

我が家は小学生までは夜8時就寝、中学生は9時ごろ、高校生で塾帰りでも10時を過ぎることは歓迎されませんでした。

友達の家に泊まりに行くのもダメでした。

だから、「平日の夜11時に友達とラジオ番組に出演している」という状況そのものがありえなくて。

それが月曜日から木曜日まで毎週毎週繰り返し生で放送されているんですよ。

これってありえるんだ!というのが本当に驚きで。

そんな時間まで起きているだけで、たまに勉強していたってものすごい勢いで叱られるんですから。。

仲間が集まってワイワイ楽しくやっているところ

今考えると、三宅さんと小倉さんの仲間同士の関係の温かさみたいなもの、そして他の劇団員も巻き込んでみんなで盛り上がっているところ、そういう部分に一番の魅力を感じていたんだと思います。

中学生の頃の生活だと、親の帰宅が17時半か18時ごろで、私も18:00過ぎに帰宅。18:30から夕食開始。

19:00NHKニュース。20:00には入浴して21:00には就寝。こんな感じでした。

家族で何か話す時間は、夕食かニュースを見ている時間なわけですが、両親は忙しいですから、その時間が業務連絡時間みたいになっていました。

そしてしばしば言い合いになり、怒鳴りあいの喧嘩になることもよくありました。

「離婚だ!離婚」という言葉が家の中を飛び交い、喧嘩になっていない時でも、何かというと言葉の端々に相手への嫌味がにじむような、そんな会話が交わされている家だったんです。

そういう家で、家族みんなでわっはっは笑って盛り上がる機会は、たまの休みにマッチ棒を賭けてやるトランプくらい。

だから、ヤンパラで毎日色々なことがあっけらかんとネタにされ、みんなに楽しく笑われている、笑われていながらも相手をバカにするとか、貶めるのではなく、みんなで一緒に笑ってしまう、そういう温かな雰囲気がとても好きでした。

ラジカセ登場!

こんな風にヤンパラを聴いていて、ラジオ番組に投稿する人がたくさんいるいることを知りましたし、時折かけられる音楽には流行りの曲がたくさんあることにも気が付きました。

当時民放テレビを全然見せてもらえず、皆の話に入れなくて寂しい思いをしていた私は、閃きました!

そうか、振り付けとか衣装とかはわからないけど、ラジオで聴けば、皆が話している流行りの曲の音楽だけは覚えられるな~と思ったんです。

ですから、親からラジカセを借り、というかラジカセを勝手に自分のもののようにして、好きな曲を録音して繰り返し聴くようになりました。

こうやって聞く音楽だけは自分から取り上げられることはないと思っていたんです。

でもそれは、私の勝手な思い込みでした。

ある日突然、目の前で

当時の私の部屋は茶の間の隣で、部屋の間はふすまで仕切られているだけでした。

ですから音は筒抜けです。父が「ラジカセの音がうるさい」としきりに言うのでヘッドセットを使うようにしていたのですが、母は「ヘッドセットを使っていると耳が悪くなるから使うな」と言います。

母は耳を患って入院したこともあるので、母に耳のことを言われるとその通りにするしかありませんでした。

父に嫌がられていることはわかっていましたが、音を出して聴いていました。

茶の間で父がテレビを見ている時には、こちらもある程度音を大きくしないと聞こえません。

すると、「うるさい」と注意されます。

毎日がその繰り返しです。

ある日、父が茶の間にいてテレビを見ていない時間に、結構大きめの音で音楽を聞いていました。

「うるさいぞ、ラジカセもってこい!」という声がかかりました。

持っていくと、父がいきなり、ラジカセのスピーカーに拳を叩きつけたのです。

ばきぃーんと音がして、プラスチックの破片が二三個飛び、さっきまでラジカセだったものが無残にひしゃげていました。

父は何も言いませんでした。私はその時どうしたのか、思い出せません。。

失ったからこそ、手に入れられたものがあった

目の前で自分が本当に必要としているものを壊されて、私は本当にショックでした。

ただ、ラジカセをすぐ買おうと決めました。

お年玉は毎年手をつけずにずっと貯めていましたから。それは私のもののはずです。

そのために、まず親に謝りました。

そして、もう大きな音は出さないし、高校受験もあるから茶の間のテレビの音を気にせず勉強したいなどと言って、自分の部屋を2階にしてもらいました。

願いが聞き届けられて2階の部屋を手に入れた私。

ラジカセも、自分の好きなものを買えたんです!

「不要なものを手放さないと、必要なものも入ってこなくなる」という言葉を、聴いたことはありませんか?

私にとってラジカセは必要なものではありましたが、それが壊されたことによって

  • 自分が本当に欲しいものが何かを知る
  • それを自分で選んで買う

という、それまでの自分にはできなかったことを経験しました。

今になって、あの経験こそがあの時必要だったんだ、と思えるようになりました。

こうして私は、次第に音楽を聴くことにのめりこんでゆきます。

続きはまた改めて。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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