たくさん応援されてきた人だからこそ見つけられる言葉がある

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わたしは、誰かを応援するのが苦手です。

応援する気持ちは、沢山あるんですよ。

それを言葉で表現するのが、どうも苦手なんです。

それを、受け取る人が嬉しくなるような言葉で表現できる人っていますよね。

本当にうらやましいです。

今日は、誰かを応援する言葉を、自分の中から見つけるにはどうしたらいいのか、考えてみたいと思います。

 

応援が上手な人ってどんな人?

私が思い浮かべる応援上手な人は、私のつれあいです。

先日の週末のことですが、彼の言葉にうっかり涙がこぼれそうになりました。

たまたま用事があってつれあいが単身赴任先から帰省していて、皆で夕食をとっていたとき。

明日はセミナーで出かけるからと自分の予定を伝えたところ、こんな会話になりました。

「最近、何勉強してるの?」

「お金の勉強。おかしな宗教とかじゃないから、安心してね。あと、ブログやってるんだ。」

「ふーん。俺には、何を目指してるのかさっぱりわかんないなー。」

「私にも、わかんないんだよね。」

「あ、そう(笑)」

「お母さん、最近若返ってるよね。なんか生き生きして、楽しそう」←上の子供

「え!?そうかな?若返り?ああありがとう。。」

「まあ、人間は自由だ、っていうことを言葉では理解していても、お母さんはそういう風には生きてこれなかったんだよな。今ようやく色んなものから解放されつつあって、高校生か大学生みたいな気持ちになってるんだよ。介護もひと段落したし、子育てもね。俺は反省してるんだよな、全部やってきてもらったから。。」

ええーなにこれ、何かのドッキリかな!?と思うくらい、今の自分の状況を的確に言い当てられて、驚いちゃったんです。

しかも、反省しているという言葉。

だから最近帰省すると、せっせとお料理を作ってくれるのか(ひたすら肉料理)。

ありがたいと拝んでいたけれど、こういう想いを持っていてくれたのか。。。

普段は東京と青森で離れて暮らしているのに。

こんなことまで、わかっちゃうんだ。。

応援上手な人は、応援したい相手をよく見ているんですね。

そして、まずその、「よく見ている」ことをちゃんと言葉にして伝えてくれるんだなと思いました。

結果だけじゃなく、努力の過程をその折々できちんと認めてくれる、っていうことかなと思います。

たくさんたくさん応援され続けて生きるとこうなるんじゃないか、と私が勝手に思っているひと

それは、竹内まりやさんです。

別に、まりやさん以外にもすてきな例はたくさんあると思うんですが、私は中学1年生からまりやさん大好きなので。

FMステーションやFMレコパルをご存知?FMエアチェックってこんな感じでエアチェックにはまっていたことを書きましたが、私は中学1年生のとき、ラジオでまりやさんの曲を聴いて衝撃を受けました。

NHK-FMのニューサウンズスペシャルという番組でした。

アーティストが番組に出演して、本人の曲がどんどんノーカットで流れるんです。

これアルバムの半分以上録音できちゃったよ?みたいなお得感ありで、大好きな番組でした。

その番組で竹内まりやさんの曲を聴いて、衝撃を受けたんです。

ちょうどアルバム「variety」が発売されたころ。

こんなに歌うまい人がいるんだ、自分で曲も歌詞も作っちゃうんだ、何か海外生活のニオイを感じるぅー!旦那は山下達郎?みたいな感じでもう毎日聴きまくりです。

話を、応援に戻しますと。

彼女は1ドル=360円の時代に、海外留学した人なんです。

最近、アメリカの高校に子供を留学させている人の話を聞いたところ、1年で700万円ほどかかるとか。

昨年のレートを110円で計算すると、63,636ドル。

当時のレートで63,636ドル=22,908,960円、約2,300万円ですね。

彼女の親は、彼女のためにそれだけのお金を投じて、しかも海外留学する人なんて全然一般的じゃない時代に、多分娘が絶対行きたい行きたい!と言ったから行かせてくれたわけです。

まりやさんはビートルズが大好きで、varietyにもオマージュ・ソングが収録されていますが、おそらく海外の文化への憧れがそういう行動に結び付いたんでしょう。

それに気づいたとき、私は心底まりやさんがうらやましくなりました。

お金持ちの家に生まれた人だからじゃありません。

まりやさんの親が、彼女がやりたい!と言ったであろうことをそういう風に(多分)全力で応援してくれた、そのことが羨ましかったんです。

 

 

家族からの応援、私の場合

私は中学から吹奏楽部に入っていて、高校に進学してからも部活は吹奏楽部でした。

部活は大好きで、指揮者に推薦されて、がんばって活動してたんです。

でも私の親は、高校の吹奏楽部をやめるよう私に強要し、顧問に手紙を何通も出しました。

勉強に専念させたいというのです。

顧問は「全く、あんたたち親子は。。。」と言ったきり、何も言いませんでした。言えなかったんだと思います。

わたしは部活をやめました。

大好きな友達と一緒の時間も、思いっきり楽器に息を吹き込んで皆で音楽を作る時間も、奪われました。

実は私の親も、私に「留学したければ、してもいいんだよ」と何度か言ってくれたことがあるんです。

でも、私はその言葉を聴いて、やったぁーうれしい!とは思えませんでした。

「留学までさせてやったんだから、親の言うとおりにしろ」って、結局は自分たちの思い通りの人生を私に強要するんじゃないか、その頃にはそんな風にしか思えなくなっていたんですよね。

だから、海外への憧れを親の応援を受けて留学という形で行動に結びつけ、音楽仲間の応援を受けて自分で作詞作曲、同じように心から音楽を愛しているパートナーと結婚、そのパートナーからも私生活だけでなくアレンジやコーラスなど音楽面でも応援してもらって、というふうに、たくさんたくさん応援されている生き方が、本当にうらやましいなーと思います。

たくさん応援してもらったからこそ、彼女は自分の音楽で、自分の言葉で、たくさんの人を応援できる存在になっているんだと、私は勝手に思っています。

 

すぐそばにもいた、たくさん応援されてきた人

考えてみると、私のつれあいも、家族からいつも一生懸命応援されて生きてきた人です。

彼は高校・大学とラグビーをしていました。

中学生の時、テレビで父親とラグビーを見ていると、小柄な人がスルスルっと大男の間を抜けて走って行ってトライした、その姿に憧れたと言っていました。

どうしてもラグビーを本格的にやりたくなり「自宅から通えてラグビーが強い高校はどこか」と父親に聞いたら、二つの高校を薦めてくれたそうです。

そして望み通りそのうちの一つの高校に進学し、超強豪ラグビー部に入りました。

レギュラーにはなれなかったけれど、公式戦には1度だけ、出場できたそうです。

彼の両親はもう他界してしまったのですが、息子のラグビーの試合を観戦した日々のことを、それはそれは楽し気に語ってくれ、写真も沢山見せてくれました。

そういう家族のあり方が、自分の家族とはあまりにも対照的で、家族ってこういうものなのか・・・!とある意味衝撃をうけたのを覚えています。

つれあいもたくさん応援されてきたからこそ、周囲の人を応援できる人になり、応援する言葉を見つけることができるんじゃないか、私はそう思っています。

 

応援の言葉をちゃんと受け取れたら、誰かを応援できる気がする

わたしも本当はたくさん応援されてきたはずなのに、応援を応援として受け取ってこれなかっただけかもしれません。

自分のやりたいことを応援してくれる人はいない、という固い思い込みの殻の中に入っているから、応援の声は聞こえない。

でもその殻の存在にも気が付かず、気が付かないからいつまでもそこから出られない、そんな悪い循環のなかにいた気がします。

今になってようやく、自分が周囲の応援を受け取れるようになってきた実感があるので、たくさん受け取って、まずは自分が応援されている!!という喜びに浸りたいです(笑)

そしていつか、それをまた応援してくれた人に応援でお返しできたら最高です。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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