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つれあいがまた(←ここポイント)、借金を増やしました。
それを偶然知ってしまったんです。
本人からは、何も説明を受けていません。
さて、どうしたものか。。
困ってます。でも、やっぱりここなんだな、と改めて気が付いたんです。
私のお金の問題の、親以外のもう一つの根本。
今日は、愚痴を聞いてください。というか読んでくださいね。
一見幸せそうなごく普通の家族の、けっこう怖いお金のお話です。。
気遣いのはずが、隠蔽工作!?
最近、つれあいからエクスパックライトに単身赴任先の住所を記入したものを5枚、渡されました。
郵便物の転送が必要なことが多く、これまでは私がすべて開封して、画像を撮影して送ったり、内容が本人しかわからない場合には改めて送りなおしたりしていたんです。
それが大変だろうから、もう開封せずに週に1回くらいまとめてこれに入れて送ってくれ、というのでした。
あら、まあ、転送するより明らかに料金高そうだけど。。と思いつつ、ありがとうと受け取っておきました。
早速、先週末に郵便物をいくつかと、ホワイトデーが近いからミニチョコバウムなどいれて送ったんですが、帰宅するともう早速つれあいあての封書が届いていました。
なぁにぃー!今日送っちゃったよどれどれ、といつもの癖で開けてみたら。
あれ?これローンの返済表だ。。しかも、借りたばっかり。。。350万借りて、利率2.15%この先7年で返済、っておーい。
聞いてないよおー!まぁた借金増えた。どうなっとんじゃあー!!
あの気遣いは、これを隠すためか!?ということになってしまったのでした。
そもそも我が家にどの程度の借金があるかといいますと。
情けない話ですが、私も全貌を正確に把握しているわけではありません。
つれあいが単身赴任先に書類をすべて持って行ってしまい、詳しいことが確認できないので、大体の金額です。
自宅:2,600万円
自宅リフォーム:800万円
つれあいのおばのマンション:2,600万円
投資用マンション1:2,500万円
投資用マンション2:2,000万円
とまあ、借入金の総額は1億円を超えます。
現在どの程度の残債があるかは手元に書類がないためよくわかっていませんが、今回の300万円は、ローン返済が苦しくなって借りたものではないかと思います。
単身赴任だと、何かとお金がかかりますし、中間管理職にはお付き合いもあります。
全く貯金ができていないと聞いていますが、それでも足りないのでしょう。
去年私が扶養から外れたので、個人加入も社会保険も医療関係の保険はこちらから払うよう切り替え、国民年金と携帯電話も自分で払い始めましたが、そんな額では賄いきれないのかな、と思います。
もしそれが本当だとしたら、これは多重債務への第一歩なんじゃないでしょうか。
というかもう足を踏み入れちゃってますよね?違うかな。
自宅関係の費用はこの先30年は払い続けなくてはなりません。
つれあいのおばのマンションは残り25年、投資用マンションは残り10数年といったところでしょうか。
まあなんにせよ、よくこれだけ借りたものです。
もちろん、つれあいにだけ責任があるわけではありません。
つれあいにそういうお金の使い方をさせた(ただし、物件を買うよう勧めた訳ではないですよ)、私にも責任がありますから。
本当に遅すぎますが、わたしはようやく自分の家庭の状況を把握しようという努力を始めたところです。
正直なところ、今まではこの事実を直視することが怖すぎました。
なぜこんなことになったのか。
逃げずに、書ききろうと思います。
きっかけは、つれあいの両親が家を失ったこと
結婚当時、彼の実家は山手線のとあるターミナル駅から徒歩10分程度の場所にありました。
初めてそこを訪れた時、はす向かいにお風呂屋さんがあり、周囲には小さなマンションや住宅がぎっしりと立ち並んでいるのを見て、驚きました。
家と家との距離の近さと生活感あふれるたたずまいが、大通りの華やかなイメージとはかなり違っていたからです。
その中の小さな公園に隣り合う一角に、敷地内に似たような3棟の家を建てて住んでいたのが、私の舅の兄弟です。
お父さんのお姉さんは元警察官のご主人を亡くされて、息子さんが就職し家計を支えていました。
お兄さんはアパレル会社経営で、バブルのころは大変羽振りの良かった社長さん。息子と娘がいて、二人とも独立していました。
実はこのお兄さんのために、3兄弟が全員家を失うことになったのです。
姑から聞いた話では、3兄弟はそれぞれお互いの家のローンの連帯保証人になっていたようで、お兄さんの事業が傾き、会社を整理する際に、全員が自分たちの家を手放すしかなかったそうです。
この事件が起きたのは、上の娘が生まれたころでした。
実は被害者がもう一人。
ここで主役が登場します(笑)
姑の姉です。いつもみんなで「おばちゃん」と呼んでいるので、ここでもおばちゃんにしますね。
実はその家には、おばちゃんが同居していました。
かつては、つれあいが育ったのと同じ分譲マンション(都内の別の場所)で別の部屋に住んでいたそうです。
結婚経験なしの独身女性で、下町育ちの気風のいい、おしゃべりと美味しいものとお風呂が大好きな人です。
その人も同時に、家を失うことになりました。
お料理大好きな妹がいて毎日おいしいごはんが食べられる、日当たりがよく収納も沢山あって、すぐ近くのお風呂屋さんでゆっくりお風呂につかれる家。
彼女はかなり前から姑に経済的な援助をしていたようですが、いつも話し相手がいて、入院してもお世話をしてくれる人がいたわけですから、いい共生関係だったのではないでしょうか。
その家が、突然失われてしまったんです。
引っ越しと、その後
私たちは当時九州に住んでいましたので、家を出るときのお手伝いはできませんでした。
娘の出産後のお手伝いに姑が九州に来てくれた時はまだ家があったのに、私が初めて娘を連れて行ったのは、引っ越し先のアパートでした。
周囲を大きな家に囲まれた、2階建ての小さなアパートの1階に入ると、中は昼間でも薄暗いままです。
3人は一緒に、以前の家に近い場所にアパートを借りて住んでいました。
私はてっきり、もっと家賃の安い場所に移って生活していくものと思っていたので、つれあいの両親の、土地に対するこだわりの強さが理解できませんでした。
でも考えてみれば二人とも東京の都心で育ち、働いて、結婚して、一度もそこを離れたことがないのです。
お友達もみんな近くにいて、おそらく、他の場所で暮らすことを想像できないのですね。
そして、おばちゃんと話をして、思い切った引っ越しができない理由がよくわかりました。
彼女は「あの家にもどりたい」と繰り返すのです。
近所の病院やご飯の美味しいお店、行きつけのドラッグストアなど、あそこに行きたい、離れたくないと繰り返し言うのです。
それができるなら、とっくにやっています。
彼女は、家を失った事実を受け入れられず、毎日毎日、顔を合わせるたびに姑を責め立てているようでした。
わたしにもよく電話がかかってきて、1時間以上も愚痴を聞かされることがたびたびで、さらには私の親にまで電話をされて困っていました。
姑は毎日ひたすら責め立てられることに耐えるしかなかったのです。
1日だけお邪魔して九州に帰りましたが、おばちゃんはもう心の病気になっているのではないか、という印象でした。
実は私の家族には心の病気を患った人がいて、包丁を突き付けられたこともあるのです。
その時に感じたような、心のバランスが崩れている人特有の危うさのようなものを、おばちゃんから感じました。
私の決断が、私のお金の問題の始まり
帰宅して主人に話しました。
このままでは、おばちゃんはおかしくなってしまいそうだし、何よりお父さんお母さんが辛すぎる。
東京にマンションを買おう。
将来は自分たちが住むために、今はおばちゃんとあなたの両親が住むために、と。
私は、自分たちがあの家の代わりの家を手に入れれば、また以前の暮らしが戻ってくるのではないかと考えていました。
つれあいも賛成してくれて、二人で夜な夜なネットで物件を探し、東京へ見に行って確かめ、3人を連れて行って承諾をもらいました。
舅は「贅沢だな」と一言だけ言いましたが、反対はしませんでした。姑もおばちゃんも、それでいいと言ってくれました。
私たちは、その時点で、自分たちにとって3軒目の物件を購入することにしたのです。
今日記事を書いてみて初めて気が付いたのですが、この決断が、私のお金の問題の始まりなのかもしれません。
結局、今の自分を作っているものは、自分の決断と行動の結果なのですね。。
あれ?そういえば1軒めと2軒めはいつの間に?
こちらはつれあいが主役の物語となります。
続きはまた、次回。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。