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あなたは、「自分の人生は、これを実現するためにある!」という、人生の目的を持っていますか?
実は私は、それを見つけるための努力を最近始めたところなんです。
そしてその作業の中で、自分がこれまで歩んできた道のりだけでなく、自分の身近な人たちの来し方を振り返ることも多くなりました。
人生の目的があって、そこにたどり着くまでのきちんとした目標と計画があったならば、つれあいの両親はもっともっと幸せな生活が送れたのではないか。。そう思わずにはいられません。
今日は、夫の両親の生きざまを振りつつ、人生計画を持つ意味について考えてみたいと思います。
人生計画とは?
自分の人生の生きがいを見つけて、それを達成するための目標を定めて行動するための計画、それが人生計画だと私は思っています。
これは、私が今参加している「マネーキャリアプランナー養成講座」で学んだ考え方です。
いきなり人生計画といわれても、具体的にどういう考え方をすればいいのか、ちょっと想像しにくいですよね。
例えば羽生結弦選手の例で考えてみましょうか。
彼は、フィギュアスケートの世界で頂点に立つことを目標にしています。
だから世界選手権やオリンピックで優勝するために、あらゆる努力を惜しみませんよね。
ここからはあくまで仮定ですが、彼の人生の目的、すなわち彼の生きがいが「自分の後に続く、アジア人世界チャンピオンを誕生させる」ことだとすると、選手としての輝かしい経歴を終えた後も、彼はコーチとして後進の育成に励むことになるでしょう。
もし、彼の人生の目的が「フィギュアスケートのチャンピオンであること」だとしたら、選手を引退後は生きがいを見つけられずに、輝かしい歩みが止まってしまうかもしれません。
このように、人生の目的が定まっていれば、そこに向かって段階的な目標を定め、計画をたてて進んでいくことができるはずです。
その計画を「人生計画」と呼ぶことにしますね。
なんで人生計画が必要なの?
私は最近、すべての人に人生計画が必要なのではないか、と思うようになりました。
それぞれの人生は、その人だけのもの。
誰もがみな、違う目的をもって生きていると思うんです。
「自分は普通に幸せな人生を送って、会社勤めと子育てを無事に終えたら老後の生活を楽しみたい」というのももちろんOK。
しかし、先ほどのごくありふれた表現から、「My Happy Life」というタイトルで映画を撮影することを想像してみてください。
必ずハッピーエンドになる映画であるとしても、同じ舞台、同じ登場人物、同じストーリー、同じ結末の映画は絶対にないはずです。
ですから、似たような言葉で語られていても、一人一人の人生の目的、すなわち「生きがい」は違います。
当然、人生計画はそれぞれ違うものになるのです。
そんな計画を立てるほどの人生じゃないよ、と思われる人もいるでしょうね。
そういう方には、ごく普通の幸せを求めて生きたはずの、我がつれあいの両親の生きざまを知っていただきたいです。
読んだ後も、ご自分の人生には計画の必要がない、と思われるでしょうか。。
教師であり、反面教師でもあり。つれあいの両親の生きた軌跡
二人のプロフィール
つれあいの父は、都内の明治通り沿いのとある街の出身で、早稲田実業の野球部出身であることが自慢でした。
野球をはじめ、スポーツが大好きで、テレビでもあらゆるスポーツ中継を楽しそうに見ていました。
つれあいの母は、下町の生まれ。
せんべいやさんの番頭の家に生まれ、比較的裕福な家庭のお嬢様だったようです。
人生のスタートは順調だった二人。
仕事を通じて知り合い、明治記念館で結婚式を挙げて、舅の実家がまだ古い家の時に、舅家族と共に住んでいました。
なぜかそこに、姑の姉であるおばちゃんも店子として住んでいたそうです。
舅と姑はその後都内の別の場所に分譲マンションを購入し、移り住みます。
おばちゃんも、同じマンションに別の部屋を購入して移り住みました。
彼女は生活の細々とした手続きが全くできない人で、そこをずっと妹である姑に頼って生きてきたので、とにかくいつも一緒なんですね。
その代わり、姑の子供である我がつれあいとその妹を大変かわいがり、可能な限り面倒をみてあげていたようです。
このころ、舅が突然、会社の上司と喧嘩して、会社を辞めてしまったのだとか。
会社に謝りに行き、後片付けをしたのは姑だったそうです。。
そこからは、舅が自営業で布団の販売など繊維関係の卸売りを開始。
事業は順調で、舅の実家を建て直す際に、敷地を三等分し兄弟3人それぞれが基本設計の同じ家を建ています。
分譲マンションを購入していましたが、そこを売って、自宅を建てたのです。
世の中の景気がいいうちは成り立っていた繊維関係の卸も、次第に繊維産業自体が縮小して、商売にならなくなりました。
そこからは舅が細々と自分で商売をする傍ら、アルバイトで食いつなぐ生活だったようです。
つれあいの妹の大学の学費に困って、結婚前の私につれあいから相談があったくらいですから、まったく余裕のない家計ですよね。
姑も色々なパートに出たり、自宅の工業用ミシンで内職をして家計を助けていました。
同居していたおばちゃんは定年まで勤めあげたので、国民年金のほか企業年金も受け取っています。
食費といいつつある程度の金額を姑に渡していたようで、そうやって何とか暮らしが成り立っていました。
そんな中、舅の兄弟の事業が傾いたことから、3兄弟とその家族は全員、家を失うことになったのでした。
結局は私たちがおばちゃんのためにマンションを購入することになったのですが、このあたりの話は、親の家がなくなる時 子供たちや家族ができることとはを読んでくださいね。
そして、その後舅は「もう俺たちに構わないでくれ」と私たちからの経済的な援助を拒み、自分たちの年金と舅のアルバイト料だけで、おそらく経済的に非常に苦しい生活をしていました。
姑は何も言いませんでしたが、はた目にもその生活の苦しさは、明らかでした。
毎日、楽しく暮らせればそれでよかった
いかがでしたか。特に大それた目標を持った人生ではないと思うんです。
結婚して、2児をもうけて、子供は2人とも大学を卒業して独立。同居のおばちゃんは何かと家計を助けてくれるけれど、ちょっとお世話もしてあげないといけない。
でもまあ持ちつ持たれつで、何とかなっていた。
それが、家を失ったことでバランスが崩れて、皆の生活が大きく変わってしまいました。
こうなった原因を考えてみると、いくつか問題点が見つかりますよね。
私が気が付いたこととしては
- 子供の大学進学費用を準備できていない
- おばちゃんも含め、自宅の購入に計画性がない
- 舅も姑も、キャリアに一貫性がない
- 舅と姑はおばちゃんに経済的に依存し、おばちゃんは生活を姑に依存している
というところでしょうか。
私には理解できない部分ですが、舅も姑も、兄弟と一緒に暮らすことが、結果的に人生の目的のようになってしまっています。
それが無計画に行われたことが、後々経済的に苦しむ要因になったのだと思います。
もし、最初に自宅を購入する際に「兄弟たちと一緒に住む」と決めて行動し、誰かの返済が立ち行かなくなったときにも他の兄弟に影響が及ばないよう計画されていたら、全員が家を失うことはなかったでしょう。
また、自営業の舅とパートタイマーの姑という、計画的な収入増が難しい収入源しかないにもかかわらず、充分な蓄えが行われていなかったため、つれあいの妹の大学の学費にも困ることになりました。
息子であるつれあいは、私立のラグビーの強豪校で練習に打ち込み、頻繁に遠征を繰り返していたのですから、かなりのお金がかかったことは間違いありません。
そのたびに応援しに行った思い出を楽しそうに語ってくれたのですが、わたしには「家族の応援があるって素晴らしいな」と思う話であると同時に、「私立の高校に通わせ、強豪ラグビー部の費用まで賄って、自分たちまで応援に行くなんて、どこにそんなお金があったのだろうか。。」と疑問に思う話でもありました。
たまたまつれあいは学費の必要のない大学に進んだからよかったものの、そうでなければ、つれあいの妹は進学をあきらめるしかなかっただろうと思います。
また、経済的な余裕はないはずなのに、私が訪問すると、いつも食べきれないほどのご馳走を作ってくれるのが姑でした。
贅沢な食材を使ったものではありませんでしたが、私の実家の食事は実に質素なものだったので、その違いに驚きました。
おばちゃんも、食べるのが大好きな人で、外出するとすぐに喫茶店に入りたがり、私がお客さんとして行くたびに、今日はうなぎ、明日は寿司と食べることに非常にお金を使うのです。
計画的に自分たちの収入を増やし、支出を抑えていくことが、二人にも、おばちゃんにもできていませんでした。
舅は、会社勤めを嫌ってか、一般的な就職をしませんでしたし、姑も結婚後は正社員として働いたことがありません。
姑の場合には、毎日の料理や家族の世話、ママ友たちとの楽しい交流こそが生きがいで、沢山働いてその時間を失うことが、嫌だったのだと思います。
そういう人が母親だったことは、つれあいにとって非常に幸せだったのでしょう。
つれあいが私に語った理想の家庭像は「子供が家に帰るとお母さんがいて、一緒におやつを食べながらワイドショーに楽しくツッコミを入れる」ような家庭がいい、というものでした。
まさに、姑が体現していたことです。
目の前の日々を楽しみながら生き、家族に愛情を注ぐことに全力投球してきたのが、つれあいの両親とおばちゃんの人生なのだな、というのが私の偽らざる印象です。
それは、親から子供への愛情や、家族や自分の楽しみを持って生きること、お互いを思いやって助け合うことの素晴らしさを教えてくれる生活だったと思いますが、ことお金に関しては、問題が解決されることはありませんでした。
人生に目的を見つけ、そこに至る計画があれば。
人生の目的は、極端な話、なんでもいいと思います。
大切なことは、映画を撮る時のように、目的を達成している状態には何が必要なのかを、できる限り具体的に想像してみることだと思います。
あなたの隣にいる人は、どんな人でしょう?
あなたが暮らしている家は、街は、どんなところですか?
着ている服は?いっしょにおしゃべりしている友達は?何をして楽しんで、どんな食事をしていますか?
そしてそのストーリーは、どんなハッピーエンドを迎えるのでしょうか?
人生計画をもって生きること。
それは、自分が「これだけは、絶対実現したい」と思う映画を現実のものにして、自分が心から幸せだと思える日を手に入れるため、具体的なステップを自ら考え、行動することだと思います。
まずは、自分が人生に望むもの、本当に自分を満たしてくれる「生きがい」を見つけなければ、それ以外のものを目指しても、自分自身が本当に幸福になることはないでしょう。
その「生きがい」を早くに見つけていれば、より早く幸せになれるはずですし、目的の達成のために必要のないものをあきらめる、という決断も正しくできるはずです。
つれあいの両親の場合なら、本当に兄弟と同居したり、同じ敷地に住むことが人生の目的実現のために必要かどうか、考えることができたと思います。
また、行動してみて、うまくいかないこともあるでしょう。
ですが、やらないままでいるよりも、失敗から学んで、また行動することが必要なのだと思います。
行動した自分を、褒めてあげたくなるだろうと思います。
つれあいの両親もおばちゃんも、私が知らないだけで、沢山のトライ&エラーを繰り返してきたのかもしれません。
彼らが一生懸命毎日を生きていたことは、間違いありません。
しかし人生の目的をしっかりと意識して、計画的な人生を送っていたようには思えませんでした。
私は、つれあいの両親のような老後生活を送るのは嫌です。
皆が笑顔で、お金の心配なく暮らせる将来が欲しいのです。
だから私は、一生懸命人生計画を作っています。
あなたの人生計画は、あなたにしか作れません。
一緒に、考えてみませんか。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。