100人に1人がかかる病気 統合失調症が父のもとにやってきた日

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私の父は、約25年前に統合失調症と診断されました。

今も、その病気と共に生きています。

今日は、その病気が父のもとにやってくるまでの日々を、書いてみようと思います。

統合失調症って、簡単に言うとこんな病気です

父は当初、「精神分裂病」との診断を受けましたが、のちに病気の名称が改められ、「統合失調症」と呼ばれるようになりました。

今回改めて調べてみると、一生の間にこの病気にかかる率は、100人に一人とされています。

思ったよりずっと多い数字でしたから、驚きました。

みんな自分から「統合失調症です」なんて言いませんから、知らないだけで、実は身近にもそういう人がいるかもしれませんね。

父は、典型的な「妄想型」でしたが、3タイプに分かれるそうです。(出典:元住吉こころみクリニック

 

統合失調症の種類によって、予後を含めて特徴を比較しました。

妄想型は、一般的に多くの方がイメージしている統合失調症になります。幻聴や妄想が特徴的で、10代から中年にいたるまで幅広い年齢で発症します。予後は様々ですが、早期にお薬で治療をすることで、変わらない生活を送れている方も多くなってきています。

緊張型は、意欲がぱったりなくなって固まってしまったり、その反対に興奮状態になってしまったりします。20歳前後で急激に発症して、症状は目立つのですがお薬が効果的で、予後は比較的良好です。

破瓜(はか:昔の言葉で、思春期を意味するそうです)型は、思考や行動がバラバラになってしまって、次第に自発的な感情や行動が失われてしまい、人格が保てなくなってしまうことが少なくありません。思春期に発症することが多く、薬の効果も期待しにくい難治性の統合失調症です。

 

なんだか急に、愚痴ばかり言うようになった父

私が高校3年生になったころから、急に父の様子が変わってきました。

父は公立高校の国語の教師でしたが、以前は全く話さなかった仕事の愚痴を、毎日のように話すようになったのです。

私は茶の間でテレビを見ながら、一応一生懸命あいづちをうって、父の愚痴を聴き続けました。

母から「おまえはよくそんな話をずっと聞いてられるね」とほめ言葉とも思えないようなことを言われつつも、父が気の毒で仕方ありませんでした。

父は私が物心ついてからずっと、自宅近くの卒業生のほとんどが就職する女子高で、テニス部の顧問をやりながらのんびりと国語を教えていたのです。

それが突然、地域で一番の進学校で、しかも男子校に転勤になりました。

いくら父がベテラン教師だとはいえ、そこで評価される授業をするには大変な努力が必要であろうことは、ちょうど高校生だった私にも想像がつくことでした。

さらに、通勤が大変でした。それまでは自転車で5分だったのに、車で片道1時間近くかけて通わなくてはなりません。

冬は雪道の運転で、帰りは暗くなってから。

これで疲れない人がいたら、どうかしています。

愚痴を言いたくなるのも当然だと思いました。

母が、父をねぎらってあげないのが不思議でした。

しかし父の愚痴を聞く時間はどんどん長くなってゆき、ついには毎日1時間半ほどもかかっていました。

さすがの私もうんざりして、受験が近づいてきたこともあり、30分ぐらいで適当に切り上げるようにしました。

母と私はそのころ「全くどうしちゃったんだろうね」という感じで不思議がっていただけで、私が大学に合格すると、父のことは忘れ去られ、それぞれの生活が始まったのでした。

 

大学生活の途中で知った、父の不可解な行動

自宅を離れることが当時の人生の目的だったわたしは、大学生になって時間とお金を浪費しつつも、楽しく暮らしていました。

ですが3回生の後期のころから、時折母から聞く父の様子が、明らかにおかしくなってきました。

どうも学校で授業ができていないらしい、というのです。

勤務する高校の教頭から連絡があり、父は授業時間になると教室へいくものの、そこでニコニコして立っているだけで、授業をしないのだとか。

なぜ授業をしないのかと尋ねても、授業をやめろと言われるとか、生徒が授業を聴く態度ではないというような返事が返ってくる。

しかし、生徒たちは誰も授業の妨害のようなことはしていない、というのです。

もともと受験校なわけですから、皆勉強熱心です。

そんな学校で、そういう態度はまずありえないといっていいでしょう。

学校も母も困惑して、とりあえずしばらく休んでもらおうということになり、確か1週間か2週間ほど、仕事を休んだと思います。

しかし職場に戻っても、父が授業をすることはありませんでした。

父にしか聞こえない言葉に授業を邪魔されて、教鞭をとることはできなかったのです。

休職の措置が取られましたが、父はその措置に頑迷に抵抗しました。

自分は悪くない、ちゃんと仕事はできるのになぜ休まなくてはいけないのか、と主張するらしいのです。

でも、現実は父の認識とは違います。

休職期間が終わっても、父が現実を正しく認識することはありませんでした。

父は、本人の意思に反して、退職することになりました。

退職金が支給される方法で退職させてもらえたことに感謝しなくてはいけませんが、本人は最後まで、これは陰謀だ、俺は罠にはめられたのだと言い張っていたそうです。

母から聞く父の話は、まるでフィクションのようで、とても現実のこととは思われませんでした。

 

牢獄に、戻りたくなくて

私は、母から電話がかかってくるたびに一応父のことについて話は聞くものの、もういい加減にしてほしい、関わりたくないと思っていました。

やっと両親のいる牢獄(実家)から抜け出したのに、なぜまたそこへ引き戻すようなことをするの。いやだ、やめてほしい、と思っていました。

ですから母には、病院に連れていくか、それができなければ病院の先生に相談してみるといいのではと思いついたことを言うくらいで、自分では何も行動しませんでした。

父が失意の中退職し、家で過ごすことになったと聞いた時も「これで状況は多少落ち着くだろう、しばらくは関わらなくていいだろう」と高をくくっていたのです。

実際に、私が大学を卒業し就職してから2~3か月は、母から以前のような電話はかかってこなくなり、私はほっとしていました。

実は当時職場の寮に入っていて、電話に出られる時間が限られており、しかも電話は共用のものでした。

携帯電話は一般にはまだ普及していませんでしたから、母としては、愚痴を言いたくても気軽には連絡できない状況だったのです。

しかしある日とうとう、母から衝撃的な状況を知らせる電話が来ました。

 

 毎日の叫び声と、警察署と

父は毎日、自宅の庭に出て、大声で叫んでいるというではありませんか。

何を叫んでいるかというと「どこへ行っても自分は監視されている。誰かが自分を陥れて、仕事も辞めさせられた。陰謀の首謀者を逮捕しろ。俺は悪くない。」というような内容だとか。

そして紙に手書きで自分の思うところをしたためて、警察署に持っていくのだそうです。

それを、何度も繰り返していると。。

私は本当に、言葉を失いました。

とにかく一度実家に帰らなくてはと、週末に必死で実家まで戻ってみると、なんだか目が吊り上がったような形相の父が、かすかに暗いオーラをまとって、茶の間のいつもの席に座っていました。

お父さん、最近どう?学校辞めなくちゃいけなくて、残念だったね。。

話し始めると、母から聞いていた通りの反応が父から返ってきます。

そこで初めて、父に起きていたことがフィクションではなく、現実のものであるということが、私にもわかってきました。

お父さん、病院に行こうよ。病院に行って先生に話を聞いてもらえば、少し気持ちがすっきりするんじゃない?

俺は病気じゃないから、病院に行く必要なんかない。

いや、1回行ってみようよ。これからの生活を健康に送るためにも、一度健康診断を受けてみたら。

元気だし、どこも悪くないから、いいんだ。

そうかなぁ。だって、庭に出て叫んだり、警察署に色々持って行ってるんでしょ。それって、普通はしないことだよね。

でもしょうがない。俺はずっと見張られてるんだから。誰かが陰謀を企んでるんだから。

そんなことはないと思うよ。見張ってる人なんて、いないよ。一回病院に行ってみよう。

うるさい!みんなで俺を病人にしやがって!!

 

と、ふいに席を立った父が戻ってきたとき、その手には包丁が握られていました。

母も、私も父のその姿を見て、涙を流さずにはいられませんでした。

父の手は震えていたような気がします。

誰にも自分の言葉を信じてもらえず、包丁を握らなければいけないほど追い詰められて、そこに立っていました。

その時どんな会話をしたのか、そもそも会話があったのかさえ、もう覚えていません。

どうにかして父をなだめ、包丁を受け取って座らせたと思います。

これでもう父が病気であることは間違いない、という悲しい確信をもって、私は職場に戻りました。

父のため、母のため、自分のために

父の病気を確信したことで、私はすぐに行動を起こすことを決めました。

その後に起きたことが、父のために良かったのかどうかは、わかりません。

でも、あのとき必死に行動した自分をほめてあげたいと、今でも思っています。

続きはこちらです→ついつい原因を考えてしまう。統合失調症と共に歩む父

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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